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ものづくりの 歴史

ものづくりの歴史について、少し述べたいと思います。

昔から日本人はものづくりに、どのように取り組んで来たのでしょうか?

現在げんざい の日本の 教科書きょうかしょ は、日本人がプライドを持って、ものづくりに取り組む気になるような 記述きじつ けています。 また、ものづくりと歴史には大きな 関係かんけい があります。

世界最古せかいさいこ の「ものづくり」

今のところ日本のものづくりの歴史は、 少なくとも、世界でも 指折ゆびお りの古い歴史を持っています。

群馬県みどり市 笠懸町かさかけまち岩宿遺跡いわじゅくいせき出土しゅつど した「 槍先形尖頭器やりさきがたせんとうき 」と呼ばれる 石器せっき黒曜石こくようせき で出来ていて、時代は、いまから約3万年前の 旧石器時代きゅうせっきじだい のものです。  「人の手による加工技術の産物」として「世界最古の道具」でもあります。

世界で最も古い 土器どき も日本から出土しています。 青森県 外ヶ浜町そとがはままち大平山元I遺跡おおだいやまもといちいせき から出土した 縄文式土器じょうもんしきどき は、世界で最も古い 土器どき である事が証明されています。

これらは、今後、世界の 何処どこ かから、 もっと古いものが発見される可能もありますが、今のところ、 石器せっき土器どき も日本が世界最古と言えます。

縄文式土器じょうもんしきどき は、 世界最古せかいさいこ調理ちょうり や料理の 証拠しょうこ でもありますし、その後の、 火炎式土器かえんしきどき は、世界最古の美術品だという人も沢山います。

日本のものづくりの歴史は、こんなに古いという事だけでなく、 その後の歴史において、 途絶とだ える事無く 一貫いっかん した文化の 継承けいしょう がなされ、 ものづくり文化が、現代に つな がっているという点も重要です。

そのため、日本の優れたものづくりのエピソードには 事欠ことか きませんが、 筆者ひっしゃ比較的近代ひかくてききんだい代表例だいひょうれい と考えるものを いく つか紹介しましょう。

鉄砲伝来てっぽうでんらい

教科書きょうかしょ には、 戦国時代せんごくじだい火縄銃ひなわじゅう種子島たねがしま に伝わったと書いてあります。 それを読んで 筆者ひっしゃ は“日本人は 火縄銃ひなわじゅう をマネしたのかな? 海外から 輸入ゆにゅう したのかな?”と 思っていました。 ところが、 火縄銃ひなわじゅう伝来でんらい は、その後の日本の歴史に大きな 影響えいきょうおよ ぼします。 それにも関わらず、下記の事が 教科書きょうかしょ には出て来ません。

火縄銃ひなわじゅう は、16 世紀せいき にヨーロッパから ひがし アジアへ伝わったものです。 日本には 種子島たねがしま に1542年、もしくは1543年に伝わったとされています。 ここまでは 教科書きょうかしょ に書いてあります。 この時は、ポルトガルの 商人しょうにん が、 二丁にちょう火縄銃ひなわじゅう を、今の 物価ぶっか に直すと、 一丁いっちょう億円おくえん える 値段ねだん り付けたのだそうです。 ポルトガルの 商人しょうにん は、こんな高い 値段ねだん れるのだから、また りに行こうという話になり、 数年後すうねんごふたたいそ いで 種子島たねがしま にやって来ました。 ところが、この時には すで に、 種子島たねがしま のそこいらじゅうに 火縄銃ひなわじゅう があったのだそうです。 日本人が海外のマネをするのが 上手 いと 悪口わるぐち を言う事も出来ますが、その時代においては、 著作権ちょさくけん も無く、マネを出来るという事が すご い事なわけです。 

マネが出来る 技術力ぎじゅつりょく る事ながら 重要じゅうよう なのは、その後、日本で作られた 火縄銃ひなわじゅう の数です。  一丁いっちょう 150万円くらいの 価格かかく で、 戦国大名せんごくだいみょう販売はんばい された 火縄銃ひなわじゅう種子島たねがしま と呼ばれた)に、目を付けた 織田信長おだのぶなが は、 木下藤吉郎きのしたとうきちろう (後の 豊臣秀吉とよとみひでよし )に、 一丁いっちょう 20万円で大量に 仕入しい れるように 命令めいれい しました。  藤吉郎とうきちろう は、 大坂おおざか (今の 大阪おおさか ) で 大量生産たいりょうせいさん させる事に 成功せいこう し、日本には大量の 火縄銃ひなわじゅう出回でまわ るようになりました。  火縄銃ひなわじゅう大量生産たいりょうせいさん成功せいこう したのは、世界でも日本だけ。 その後、アジア 諸国しょこく輸出ゆしゅつ されたりもしました。 

その数は、 当時とうじ圧倒的あっとうてき世界一せかいいち で、この事が 諸外国しょがいこく の日本に対する 政策せいさく に大きな 影響えいきょう を与えたのです。 日本の 武器ぶきすぐ れていたのは、この 火縄銃ひなわじゅう だけでは無く、 日本刀にほんとう は、 他国たこく の刀よりも 圧倒的あっとうてきすぐ れていたし、 よろいかぶと もずっと すぐ れていたのです。 

皆さんは、 江戸幕府えどばくふ鎖国政策さこくせいさく について 疑問ぎもん に思った事はありませんか?  諸外国しゅがいこく に “ 長崎ながさき出島でしま だけ! ” と言われて、 素直すなお に “ はいそうですか ” と言う事を聞くような 諸外国しょがいこく では無いはずです。 それも260年も長きに わた りですから、 軍事的ぐんじてきすぐ れた部分が無かったはずが無いのです。  無論むろん火縄銃ひなわじゅう当時最大とうじさいだい武器ぶき なわけで、今の 核兵器かくへいき と同じ効果があったのです。 日本は 戦国時代せんごくじだい世界的せかいてき に見ても たたか いに強かったのです。 そこのところが、 歴史教科書れきしきょうかしょ には書いてないと言う事が 残念ざんねん です。

ちなみに 江戸時代えどじだい 200 年以上ねんいじょう もの長い間、 戦争せんそう がありませんでしたが、 そんな国は日本だけです。 さらに 平安時代へいあんじだい にも、200 年以上戦争ねんいじょうせんそう の無い時代がありましたから、日本は、 歴史上れきしじょう 2度も 奇跡きせき のような事が起こっている平和な国なのです。 その1つの 理由は、日本の 技術力ぎじゅつりょく がもたらしたものであると言っても 過言かごん ではありません。

からくり 儀右衛門ぎえもん


日本の「ものづくり」の歴史は、 驚異的きょういてき な話の 連続れんぞく です。  田中久重たなかひさしげ は、 江戸末期えどまっき 「からくり 儀右衛門ぎえもん 」と呼ばれていました。  当時流行とうじりゅうこう していたからくり 人形にんぎょう の新しい 仕掛しか けを 次々つぎつぎ考案こうあん して 大評判だいひょうばん となりました。  かれ の作で 現存げんぞん するからくり 人形にんぎょう として 有名ゆうめい なものに「 弓曳童子ゆみひきどうじ 」と「 文字書もじか人形にんぎょう 」があり、からくり 人形にんぎょう最高傑作さいこうけっさく といわれています。 さらに「 万年時計まんねんどけい 」も 有名ゆうめい で、 黒船くろふね が来て、 小型こがた蒸気機関車じょうききかんしゃ を見せられた日本は、この 田中久重たなかひさしげめい じて 翌年よくねん には、もう 国産こくさん小型こがた 蒸気機関車じょうききかんしゃ およ小型こがた 蒸気船じょうきせん製造せいぞう したのです。 さらに、 田中久重たなかひさしげ は、 反射炉はんしゃろ設計せっけい改築かいちく )と 大砲製造たいほうせいぞう にも大きく 貢献こうけん しました。  田中久重たなかひさしげ田中製作所たなかせいさくしょ という会社を作り、それが 現在げんざい東芝とうしば となったのです。  東芝とうしば は、 現在苦げんざいくる しい 立場たちば に立たされていますが、ものづくりに対する取り組み方、考え方が 東芝とうしば将来しょうらいかぎにぎ っているはずです。

日本が、 明治維新後めんじいしんご富国強兵ふこくきょうへい成功せいこう し、 日清にっしん 日露戦争にちろせんそう勝利しょうり し、 大正時代たいしょうじだい には、世界の5 強国きょうこく になった (これも 教科書きょうかしょ に書いていない)のも、やはり日本人のレベルの高い 「ものづくり」に対する取り組みによるものです。

日本人は、もっと「ものづくり」に 対するこだわりを持つべきです。  金を生むだけでなく、文化を生み守り育てるのが「ものづくり」であると言う事を わす れたら、日本は日本ではなくなるように思います。




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